تسجيل الدخولお昼休み。
「あれ、紅さん、今日はお弁当?」
「あ、ああ~。そうです。ちょっと朝、余裕があったもんで」
話しかけてきた同僚女性とは、いつもあちこち昼食を食べにいく関係。
「うーん、どっかでテイクアウトしてきますかー」
そういって、彼女は職場を離れる。
ふう。
このお弁当は、もちろんハルちゃんの愛情弁当。ただ、さすがにそれはオープンにはできないので、自作ということにした。
それにしても、彩り豊かで、可愛らしいお弁当だ。赤・黄・緑の彩りが、食欲を掻き立てる。
「いただきます」
感謝の念を、これでもかと込めて合掌。
ん! 卵焼き美味しい~。ブロッコリーサラダもグー!
そして、メインのサンマフライ……。ほんと、美味しい。語彙力が崩壊しちゃうな。
本気で、お嫁さんにしたくなってしまうなあ。ハルちゃんは私を好いてくれているようだけど、どのレベルなんだろう?
少なくとも、
人生設計かー。ハルちゃんと結婚。悪くないかもなー。
同性婚禁止とか、遅れてるよ、この国。私も、すっかり
しかし、ハルちゃんに袖にされた御曹司ってどんな人だったんだろ。あのキョーレツな、吾文さんが頭をよぎる。
あんなのと結婚させられるんだったら、可哀想だな。逃げて正解だったと思う、うん。
「おまたせー」
考え事をしながら箸を進めていると、同僚が戻ってきました。
「おかえり。いい匂い。なんだろ?」
「タンドリーチキン弁当。カレーがけにしようか迷ったんだけど、接客業だから、あんま臭いきついのはちょっとね」
そうね。一応、接客業だもんね。
「だいぶ進んでるね、そっち。急いで追いつかないと」
フォークを、さくさくと進めていく彼女。
ハルちゃんは今頃、面接してる頃かな。仕事、決まるといいけど。
◆ ◆ ◆ 「ただいまー」今まで九年間、言う習慣のなかった言葉をかけながら家に入る。
今日も、七時をだいぶ回ってしまった。
すると、ちゃぶ台に突っ伏しているハルちゃんがいました。
「ありゃー……その様子だと、ダメだったか」
「全滅です。不況不況と聞いてましたけど、ほんとですね」
顔も向けずに、無気力に言う彼女。
ほんとにやんなるね。私なんて、生まれたときから不景気だもん。
公務員に一発合格できただけ幸運よねえ。
「お弁当、おいしかったよ。そっちは、ご飯食べれてる?」
「お昼は、お弁当を。夜は、食欲が湧かなくて……」
そりゃ、一大事だ。
「じゃあ、なにか食べやすいもの作ってあげる。待っててね」
部屋着に着替え、エプロンを締める。
やっぱりここは、おかゆさんでしょう。梅干しをつければ、食欲のないハルちゃんも、手を付けてくれるはず。
ぐつぐつ……。
できた!
「はい。食べないと、体持たないよ」
「おねーさんの手料理なら、いただかない訳にはいかないですね。いただきます。ふー……ふー……あ、味がしっかりしてる」
「ちゃんとね、だしをとったの。ただのおかゆじゃ、箸……じゃないか、レンゲが進まないでしょ」
はふはふと、美味しそうに食べてくれる彼女。ありがたい。
間もなく、完食してくれました!
「お腹、急に空いてきちゃいました。おかわり、もらっていいですか?」
「おまかせあれ! もうちょっと、しっかりしたものも食べる? 鮭、お弁当に使ってなかったよね」
「はい! お願いします!」
元気が出てきたようで、何より。今度は、同じ要領で鮭のおかゆを作る。
「どうぞ」
「いただきます! ……美味しい! 美味しいです!」
「ちょっと、泣いちゃってるけど、大丈夫?」
彼女の涙を、そっと拭う。
「あ、すみません。風邪引いたとき、ミドリさんが作ってくれたおかゆを、思い出しちゃって」
ハルちゃんの初恋の人か。ちょっと、妬けちゃうな。
「私も、同じの食べようっと」
おかゆをすくい、一緒にハフハフといただく。うん、我ながら上出来。ミドリさんも、病床のハルちゃんに、こんな感じのを作ってあげたんだね。
「……ごちそうさまでした。お陰様で、また明日、一日頑張れそうです」
「元気が出て、良かった。やっぱり、ハルちゃんは元気が一番だ!」
「はい!」
とりあえず。食後のくつろぎモードで、今日の反省会。
「ハルちゃんのことだから、ソツなく受け答えしたと思うんだけど、何がいけなかったんだろ?」
首を傾げる。
「とりあえず、近所のいろんなお店を回ってみたんですけど、やっぱり、ニュースになったのがまずかったらしくて」
あーねー。私も最初、警察に通報しようとしたもんなー。もう、捜索願いは取り下げられているはずだけど。
「偏見を持たずに、ハルちゃんを見てくれるとこがあると、いいんだけどねえ」
私に、コネだのツテだのあればいいんだろうけど……?
「あ!」
私の素っ頓狂な声に、首を傾げる彼女。
「さしあたって、生活保護受ける?」
「生活保護、ですか」
突拍子もない提案に、キョトンとする彼女。
「親類の支援は受けられないでしょ? 『二度とうちの敷居をまたぐな』って言ったことの証人に、私がなれる。で、個人所有の資産もお金もなくて。受けられるよ!」
「その、色々制限とかないんですか?」
「あるはあるよ。労働収入で自分のものにできるのは、一万五千円までとか。車持っちゃいけませんとか。で、ハルちゃん働くように言われるだろうけど、その気あるし、活動もしてるから、あんまうるさく言われないと思う」
はー……とか言いながら、ぽかんとしてるハルちゃん。大企業の令嬢が生活保護とか、急転直下だものね。
「どうする? 当座を凌ぐだけって考えてくれたらいいよ」
「なんか、実感湧かないですけど、やります! 親の力を借りずに、生きたいですから!」
「よし、明日手続きに行こう!」
こうして、当面の方針は決まり!
慰労会ってことでノンアル飲んで、明日に備え、お風呂入って、大人しく寝ることにしました。
そんな、毎日毎日
で、一応の義務として吾文さんに、扶養の意思を確認してみたわけだけど……「馬鹿も休み休み言え!」と、乱暴に電話を切られてしまいました。
まあ、これはむしろ計算のうち。ハルちゃん自立の方便が立った。
私と同じ住所とは、どういうことかと課長に問い詰められたけど、そこはしらばっくれても仕方なし。素直に同居していることを告げる。頭を抱える課長。不肖の部下で、すみません。
ともかくも、受理してしまったらもう突っ返せるものではないので、ここに晴れて、ハルちゃんの生活保護が決まりました。
かくしてハルちゃんは退庁。保険事務所で当座の生活費を得るわけです。
あとはもう、お仕事探し頑張れ! と祈るほかない私でした。
ひゅうと、秋風が紅葉の葉を運びながら、私の頬をなでていく。 思えば、ハルちゃんと出会ってから、ちょうど一年か。「どーしたんです、おねーさん?」 恋人つなぎで、庭を一緒に散歩していた彼女が、声をかけてくる。 庭では、紅葉の葉が紅に染まっていた。「ん? 出会ってから、ちょうど一年だなあと思って」「もう、そんなになるんですね。大人になると、時間の過ぎ方があっという間になるっていいますけど、ほんとなんですね」 ハルちゃんも、目を細めて、柔らかくなった秋の日差しを見上げる。「あのときは、びっくりしたよ。朝起きたら、私もハルちゃんもネイキッドで寝てるんだもん」「あはは。本当に、お姉さんのワザ、ステキでした」「もーう、そういうこと言わないの。恥ずかしいじゃない」 口をとがらせて拗ねると、彼女が一層、愉快そうに笑う。「会長令嬢と知った時は、愕然としたっけなあ。まるで、漫画のヒロインかと思ったよ」「漫画のヒロインって、そうなんです?」「ものによってはね。それにしても、警察だの吾文さんだの押しかけてきた時は焦ったなあ」 愛しの彼女に、そっと肩を寄せる。「あの頃は、まだお父様と仲が険悪でしたからね」 彼女も、肩を寄せてきた。「お父様が倒れられて、幸か不幸か、父娘仲が改善しましたけど。……いや、幸と言っちゃいけないですね。でも、お父様、ずいぶん丸くなりました」「そうだね」 私も、ずいぶんな言われようをしたっけ。「そのしばらく前だよね。ミドリさんとハルちゃんが、ばったり再会したのは」「はい。あのときは、心臓が爆発しそうでした。二度と会えないと思っていたミドリさんが、眼の前にいるんですもん」 あれは本当に、偶然に偶然が重なった。たまたま映画を見に行って、たまたまピアノを弾いて、たまたまミドリさんが聴いていて。「おねーさんが必死にミドリさんを止めてくれて、助かりました。おねーさんがいなかったら、ミドリさんは私の手から、するりとすり抜けてしまうところでした」「詩的な表現だね」 詩といえば、ハルちゃんとユキさんは、デビューに向けて、仕事と両立しながら、必死に頑張ってる。すごいな。「ありがとうございます。でも、まさか公式二股とか、おねーさんから言い出すとは思いませんでしたよ。さすがに、びっくりしました」「あはは
結果発表をまんじりともせず待つ日々。公式HPによると、審査が長引いているらしい。 仕事を終え、バスの中でツイスターを見ると、ついに結果発表が! 急いで公式HPに飛ぶと……最優秀賞……じゃない、優秀賞……でもない。じりじりと不安な気持ちで、画面を下にスクロールしていく。 あったあああああああ!! 審査員特別賞! たしか、募集時にはなかった賞のはず。賞金なし。プロデューサーがつき、デビューに向けてサポートします……だって。うーん、急遽設けられた末席かあ。 ちょっと残念な気持ちで帰宅すると、ハルちゃんとミドリさんが、笑顔で出迎えてくれました。「ちょっと惜しい結果だったね。もっと上、狙えると思ってたんだけど。でも、入賞は入賞だ!」 励ますつもりでそう言うと、「何仰るんです! 大金星ですよ!」と、聞き覚えのある声が。 ハルちゃんのスマホからだ。「だそうですよ、おねーさん!」 笑顔で画面を向けてくるので見てみると、興奮気味なユキさんが映っていた。「あのですね。賞レースの世界で、初めての投稿作が入賞なんて、自分で言うのもなんですけど、天才の所業ですよ!?」「そうなんですか?」「はい! 私も、小説賞で一次選考での落選を、何度繰り返したかわかりません。……初めての受賞が、小説ではなく歌っていうのがあれですけど、万々歳です!!」 へー。「これをお父様に伝えたら、今度こそ、心の底から喜んでくれてですね! 今度の日曜、真の祝賀会をしようって話になりました!」「おおー! おめでとう!!」 大学を続けるかどうか悩んでいた、ハルちゃん。思い切って音楽の道に進んだわけだけど、ピアノ講師以外の道も見えてきたわけだ。「いやー、印税でウハウハになったりするかなー?」 なんて青写真に思いを馳せていると、「いや、それは夢見すぎですね」と、一転して冷静なユキさん。「少なくとも小説だと、受賞後デビューしても、働きながら、副業として執筆活動する人がほとんどです」「意外と、渋い世界なんですね」「ですよ。売れっ子なんて、万に一人……いや、それ以下の選ばれし人なんですよ。音楽も、同じだと思いますよ」 ほんと、厳しい世界なのねえ。でも、地方公務員も、世間様が思うほど恵まれてないから、そんなもんか。「まあ、何にしても祝賀会楽しみですね!」 ウ
「ただいま戻りました~」 今日も、お仕事頑張ったー! というわけでお屋敷に戻ると、ハルちゃんとばったり出くわした……というか、待ち構えていて、「おねーさん!」と、子犬のように抱きついてきました。 季節も春になり、福祉課自体は変わらないけど、別地区の担当になりました。こうしないと、不正する職員、悲しいけどたまにいるからね。実際、昔、岡山で問題になったらしい。「危ない、危ない! どーしたの、そのテンション?」 危うく倒れ込みそうになり、彼女を制する。「すみません。それでですね! 完成したんですよ、歌が!」 そういえば、そろそろ締切だっけ。「おー、そりゃめでたいね! ハルちゃん、頑張った!」 頭をなでてよしよしすると、「えへへ~」ととろけるお嬢様。かわいい。「吾文さんも、さぞ喜んでくれたでしょう?」「それがですね、『まだ入賞したわけではない。気を引き締めなさい』って塩対応で、お母様に、『こういうときは、素直に祝ってあげてくださいな』って、たしなめられてました」 はは。本当に、不器用な父親だなあ。大病して以降、ずいぶんカドが取れたんだけどね。「でもとりあえず、祝賀会を開こうって言ってくれて、お屋敷のみんなでパーティーすることになりました!」「おー、そりゃ楽しみだねえ!」 吾文さんも、リハビリのかいあって、杖が必要だけど、少しは歩けるようになっている。「はい! もちろん、ユキさんも招かれてますよ」「いつやるの? さすがに今日じゃないよね?」「今度の日曜です!」「りょーかーい! ところでお風呂入りたいな」「じゃあ、一緒に大浴場行きましょうよ!」 目をキラキラさせる彼女。「ミドリさんは、まだお仕事?」「はい」「じゃあ、お風呂はハルちゃんと二人っきりかあ~」 ひさびさかな、これも。 というわけで、楽しく流しっこするのでした。 お腹も空いてるし、さすがにリスキーなので、それ以上はしなかったけどね! ◆ ◆ ◆「今日は、不肖の娘、ハルが……」「あなた、ハレの場で、娘を不肖などというものではないですよ」「こほん。我が娘ハルが、賞向けの歌をご友人と完成させた記念に、気が早いが、祝賀会を開かせてもらった。日頃の奉仕に報いる意味もあるので、今日は大いに呑み、食べ、楽しんでほしい」 奥様に、最近ツッコミを入れられがちな吾文さんの挨拶
どうも、最近オフは、やることがなくていけない。お掃除もお洗濯も、メイドさんたちがやってくれるしなあ。かといって、またメイドイン私……逆か。ま、それはちょっと辛いと理解できた。 というわけで、競馬中継など見ていたわけだけど、スターランサーが有馬で怪我し、療養中になってしまった。予後不良とかじゃなくてまだよかったけど、寂しいな。 もう一頭の推し、マリアージュベーゼも、パッとしない戦績が続いている。さっきも、六着に終わったところだ。高松宮では、ビシッと決めてほしいけどなー。 なんとも、気が沈みますなあ。 なんか、今日は視聴気分じゃないや。そういや、今日ミドリさんオフだっけ。たまには、ハルちゃん抜きでミドリさんと絡んでみようかな?「ス~マ~ホ~!」 某猫型ロボットの物真似をしながら、コール。「はい? どうされました?」「いやー、手持ち無沙汰だし、メイドさんのお手伝いは、私には無理だと悟ったんで、たまにはミドリさんと、なにかしようかと」 首筋をもみながら、提案する。テレビばっか見てたら、首凝っちゃったよ。「そうですね……読書も、目が疲れましたので、小休止中でして。構いませんよ」「じゃあ、とりあえず、私の部屋で」「かしこまりました」 冷蔵庫から炭酸水を取り出して飲んでると、ノックとともに「私です」と、ミドリさんの声が。「いらっしゃ~い。入って、入って!」「お邪魔します」 彼女が入ってくる。「さーて、ミドリさん。呑みましょうか!」「ええ!? 唐突ですね? というか、屋敷のお酒を勝手に開けるわけには……」 高級酒ばかりですもんね。「ノンノン。私の私物~。自分用に、こつこつ買い溜めてるんですよ」 と、クラフトビールを二缶出す。「おつまみも、ありますよ~。いきましょうよ!」 乾き物を、色々取り出す。「そうですね、久しぶりにこういうのも、悪くないかもしれません。お嬢様がいらっしゃらないのが、残念ですが」「一時間ぐらい前、ピアノ室覗いてみたら、ユキさんとかなりガチな話してましたよ。邪魔しないほうが、いいかもしれませんね」「左様ですね。では、二人で呑みましょう」 「そうこなくっちゃ!」と、ビールグラスを出し、慣れた手付きで注ぐ。美味しさを引き立てる白い泡が、シュワッと膨らむ。「乾杯!」 グラスを打ち鳴らし、ごくごく。
こんこん、がちゃ。ハルちゃんの部屋……。いない。 ピアノ室かな? てくてく……こんこん、がちゃ。ビンゴ!「ハールーちゃん。競馬見ーましょ」「すみません、おねーさん。今、取り込み中で」 スマホからも、ユキさんの声が聞こえる。作曲中か……。 ハルちゃん、曲自体もあれからブラッシュアップするとのことで、ピアノ室にこもることが多くなっている。 ミドリさんは仕事中でしょ。だからって、休日まで同僚とつるみたくないしなあ。 私にも、楽才なり詩才なりあったらな。ハルちゃんとユキさんの間に混じれるのに。 ただ食客やってるのもあれだし、今日は皆さんのお手伝いでもしますか!「ミドリさーん」 とりあえず、取っ掛かりとしてミドリさんを捕まえ、呼び止める。「はい、なんでしょうか」「私、暇を持て余してまして。で、ただ食客やってるのもアレだし、お手伝いしようかなあ、なんて」「ありがたいお話ですが、私の一存では決めかねますので……メイド長に、話を取り付けましょう」 というわけで、メイドさんたちが、わらわらとたむろしてお掃除している、エントランスへ。「……というわけなのですが」「なるほど、ありがたいことです。でもその格好では……余ってるメイド服、召されてみますか?」 おお! リアルメイド服! まさか袖を通す機会が訪れるとは。「はい、ぜひ!」 そんなわけで、更衣室へ。おお、これがメイド服! 何かワクワクするな!「おまたせしました」 着替えて、しゃらららん。「ではさっそく、拭き掃除をお願いします」 と、水入りバケツと雑巾をメイド長から手渡されました。 おっほう! さっすがメイド長! 着替えたてホヤホヤのボランティアにも、容赦なしですね! 彼女が、葵家の秩序を守っているのだなあ。「あの、メイド長さん」「長野と呼んでください」 おさの、おさの……あれ?「ひょっとして、シェフ長の……」「はい、彼は夫です。それで、ご質問は?」「あ、はい。ええと、どのあたりを中心に拭けばいいですか?」 メイドさんたちがめいめい動いているので、文字通りどこまでクリアされてるか、わからないのだ。「でしたら……」 と、結構な広範囲を指定される。うっひゃ~! でも、自分で言いだしたことだもんね! やるぞー! ◆ ◆ ◆「みなさん、休憩にしま
「お父様、わたし、作曲の賞に応募してみようと思うんです」「おお、そうかそうか。お前も頑張ってるのだな」 万年筆を右手に持ち、自室でハルちゃんの報告を聞く吾文さん。リハビリのため、文字を書く練習をしていたらしい。何十字もの「あ」や「い」で埋め尽くされた紙が見える。 かつての彼はそこにはおらず、娘同様努力する、人当たりのいい、おじ様がそこにいた。「それで、お父様にも試聴していただきたくて……。音楽、かけてもいいでしょうか?」「いいとも。聞かせてくれ」 ハルちゃんが、ファイルを再生しながらスマホの音量を調節する。「……いい曲だ。これだけで応募できるんじゃないか?」「いえ、作詞も必要で……。わたし、作詞はからっきしなので、ミドリさんのご友人のご助力を、いただいているんです」「ほお……」 筆を止めず、同時に話を聞くという器用なことをしながら、感心する彼。「そういえば、奥様のお姿が見えませんね」 いつもなら麗さんのいる席で主人の世話をしている辻さんを見て、ミドリさんが素朴な疑問を口にする。「今日は、一日羽根を伸ばしてもらっている。オレの世話で、ずっと苦労させっぱなしだったからな」 吾文さん、ほんとに丸くなって……。「そういえば、ハルも紅さんも、皆に混じってまかないを作ってるんだったかな?」「はい。わたし……こういう言い方は失礼ですけど、アキさんと共同生活して、世間様の暮らしを体験しました。それで、わたしもぬるま湯に浸かっていてはいけないと思うようになったんです。もっとも、衣と住に関しては、贅沢させていただいてますけども……」 とはいえハルちゃん、オフの日は率先してメイドさんたちの仕事を手伝っている、パワフルさんだ。「ならば、食も遠慮せず、食べなさい。その、夏野には他の使用人の手前、それはさせられないが」 つ、と、頷いて肯定するミドリさん。「それが嫌なんです。私にとってミドリさんの手料理は……こういう言い方よくないですけど、母の味ですし、彼女と同じものを食べたいんです」「ふむ……」 吾文さん、筆を一旦置き、左手で顎を撫でながら、思案する。「なら、慰労会を開こう。屋敷の者、全員参加のパーティーだ。そこでなら、夏野も遠慮は必要あるまい」「よろしいのですか!?」 びっくりミドリさん。「いいともいいとも。考えてみれば、がむ







